たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
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7月のカバン【ロベルタ ディ カメリーノ】
やー、みんな!
6月に入って鬱陶しい天気が続いているけど元気かい?
あっ、今月はワールドカップでのサムライブルーの活躍でそんなものは吹き飛んでるか・・・
でもまあ、早く梅雨が開けるに越したことはないよね。

そうそう、梅雨が開ける頃には、政権交代してから始めての国政選挙である参議院選挙があるよね。
みんなはもう誰に入れるか決めた?
僕はまだ迷ってるよ。

何せ、鳩山政権があんな形で終って、
あれよあれよという間に菅さんが総理大臣になって、国会もあっという間に閉めちゃって、
で、消費税値上をぶち上げただろ。

僕も、多くの国民のみんなと同じように消費税を上げなきゃいけないことは解る。
でも、菅さんの言う「第三の道」というのがちょっとね・・・

「第三の道」とは、公共事業を成長の原動力とした高度成長期の「第一の道」、
規制緩和を中心に企業の活力を引き出す「第二の道」と一線を画す新たな経済政策の事。

簡単に言うと消費税を上げて増税した分を、雇用創出が期待できる成長分野に投入し、
「強い経済、財政、社会保障」実現しょうというもの。

具体的には、菅首相が成長分野に位置付ける

▽地球温暖化対策などの「環境」
▽医療、介護などの「健康」
▽アジアでの環境対策、インフラ整備支援
▽観光・地域活性化--に重点投資する事。

でもね、医療や介護の分野一つとっても、投資した所で雇用が増えるかね。
そもそも僕は、医療や介護の仕事は誰もが簡単につける仕事とは思っていないし、
ついちゃいけないと思ってるぐらい。

菅さんは所信表明演説で「第三の道」という大きな絵を画いたけど、
でも、この絵・・・国会で質問する機会もなく画かれちゃった。

だから、この絵が果たして良いのか悪いのか、本当に出来るのか、出来ないのか。
全く解らないまま選挙が始まっちゃった。

こういう絵をフランス語で、「トロンプルイユ」って言うんだよ。
知ってる?
そう、日本語にすると「だまし絵」・・・
美術用語としては芸術の一つと見られているんだけど、
菅さんの「トロンプルイユ」は果たしてどうなんだろうね。

んじゃ、今月はこの「トロンプルイユ」を得意として世界ブランドになった鞄のブランドを紹介するね。
今月のカバンは、【ロベルタ ディ カメリーノ】で決まり!


ベルベット素材に‘R’マークのロゴが入ったロベルタのバッグは、
日本では1970年代の第一次ブランドブームで、
「ミカレディー」が代理店となり幅広く展開していたんで、女性なら誰でも知ってるよね。

創始者は、ジュリアーナ・カメリーノという、
イタリアはヴェネツィアで生まれ育ち、その故郷をこよなく愛する女性。
創業は、第二次世界大戦直後の1946年。

ジュリアーナ・カメリーノがバッグのデザインを始めたのは、ほんの小さな出来事がきっかけ。
第二次世界大戦中、家族と共にスイスに亡命したジュリアーノはまだ十代。
そこでたまたま彼女が持っていた自分でデザインしたバッグを、ある婦人が見て気に入り、
売ってあげたことがそもそもの始まりなんだって。
で、その婦人の誘いでバッグのデザインを始めたのが、19歳のとき。
その後、イタリアに戻り、ヴェネツィアに小さな工房を構えて仕事を始めたんだ。

ロベルタのバッグを語るとき切っても切れないのが彼女が愛するヴェネツィアという街の存在。
前に、ボッティガ・ヴェネタのときにも言ったけど、
イタリアという国は伝統工芸を大切にする街が沢山あるところ。
ヴェネツィアもそんな街の一つ。
ジュリアーナはそんなヴェネツィアの伝統工芸の技術や‘愛すべきヴェネツィアそのもの’を
惜しみなく自分のデザインするカバンにそそぎ込んだ。

まずは素材であるベルベット。
それは、ヴェネツィアの運河沿いに建ち並ぶ瀟洒な宮殿の調度品などに使われていた、
最高級のベルベット。

次に金具やビス。
その運河にはヴェネツィアの象徴のゴンドラが浮かぶ。
ジュリアーノほそのゴンドラの真鍮でできた飾りを作る職人に自分が使う金具やビスを依頼した。

そして色。
ロベルタのシンボルカラーである「赤、緑、紺」。
その強烈な印象を与えるロベルタ カラーは、
ヴェネツィアゆかりの三人の有名な画家”ティチアーノ””ベロネーゼ””ティントレット”の
作品のなかの巧みな色づかいに深く影響を受けている。

更にはブランドマーク、「メリディアーナ」。
サンマルコ広場の時計から発想したといわれる、太陽を表わすメリディアーナ(日時計)。
それをジュリアーナは自身がイメージする「幸福の象徴」としてデザイン化しバッグに刻んだ。

こうして、1948年。ロベルタを代表する作品、「バゴンギ」が誕生した。
バゴンギ

それは気品に溢れたヴェネツィアの街そのものだった。
そして、この「バゴンギ」はモナコ王妃となったグレース・ケリーが、
モナコ王子との婚約後の報告の際、持っていたことで一躍世界にブレイクしたんだ。

更に、この成功を受けてジュリアーノはプレタポルテやシューズなどへと、
拡がりと充実を見せるようになっていった。

で、プレタポルテに進出した【ロベルタ ディ カメリーノ】の名を不動のものにしたのが、
一枚の布から作り出すパネルドレスにプリントした「トロンプルイユ」。

ジュリアーノは、一枚の布に「トロンプルイユ」(だまし絵)の技法を施す事で、
ブラウスに上着を着ているように見せたり、スカートにベルトをしているように見せたんだ。
その遊び心は、世界のセレブ達の心をとらえ、「素敵な二次元マジック」と賞賛されたんだ。

そして、現在この「トロンプルイユ」の手法はパネルドレスだけでなく、
バッグや沢山のコレクションにも用いられているんだ。
ちなみに、ロベルタのブランドマークの‘R’もこの「トロンプルイユ」で画かれているんだよ。


ロベルタ



「トロンプルイユ」は二次元の世界に三次元の世界を誕生させる立体表現で、
アートを親しみのある楽しいものにしたもの。
そして、超リアリズムの分野を変化させたもので、
絵と解っていながら立体的に見える面白さと、鑑賞する世界からの応用生を付加し、
参加型のアートに仕立てているんだ。

だから、ロベルタが「トロンプルイユ」を施した作品を出したとき、
皆が自分も創造の世界へ駆り立てられ、楽しむ事が出来たんだろうね。



菅さんが描いた「第三の道」・・・
果たして、国民の創造が駆り立てられ、楽しむ事が出来る、
本当の意味での「トロンプルイユ」なのか。

それとも単なる「だまし絵」なのか。

国民はじっくりと見極めないといけないよね。











「創造は、人生と世の中の新しいこと、美しいもの全てに対する私の愛の表現です。」

                                 (ジュリアーナ・カメリーノ)



※2010年、5月10日ジュリアーナ・カメリーノ氏が永眠いたしました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。















6月のカバン【鞄職人・須田栄一氏】
やーみんな!
あっという間に6月だね。元気にしてた?
僕は今、6月展の展示会サンプル作りでへとへとだよ。

何しろ、これまで展示会サンプル作りはバギーポートさん一件だったのが、
この6月展からTIPZONEさんも開く事になって、とんでもない状態・・・
ま、この時代忙しいに越した事は無いけどね。

それより、とうとうやったね、5月末決着!
そう、鳩山総理の普天間問題5月末決着という約束。
いやー素晴らしい決着のつけ方・・・って、ふざけんな!!!

閣議決定の記者会見を全部見たけど、なんじゃありゃ。
ようは、自分がどれだけ一生懸命努力したかを誇示し、国民に許しを請っただけ。

鳩山さんが、努力したように見えたたのは5月に入ってから。
そう見えただけ。
徳之島出身の長老、徳田虎雄氏に会ったり、やっとこ沖縄訪問したり、全国知事会を招集したり。
でも、国民はよく見てるからね。ウソはすぐばれるよね。
それに、そもそも努力っていうのは見えたら駄目なんだよ。

僕は、このコラムで度々‘国づくり’と‘もの作り'は似たところがあると書いているけど、
‘もの作り'に於いては、一生懸命努力した事がその製品から見えることはよい事では無いんだよ。
よし、じゃ今月は僕にこの事を教えてくれた須田帆布の須田栄一さんの話をしようか。

今月のカバンは【鞄職人・須田栄一氏】で決まり!


僕が、須田さんに始めて会ったのは、もう二十年近く前。
前述したバギーポートさんが起業した当初、須田帆布の商品を扱っていた事が縁で、
バギーさんのスタッフも含め一緒に豊岡に旅行したのが最初。
日本一の鞄の生産地、兵庫県は豊岡市の鞄施設を見学した後、城之崎温泉で一泊したんだ。

須田さんは、このときから、
この後僕が出会う一流の鞄職人が皆持っている穏やかで素敵な笑顔を持っていた。
そして、その笑顔の奥に僕が今まで出会った事の無かった物作りへの情熱も持っていた。
この夜、僕らは全員で夜遅くまで物作りについて熱く語りあったんだ。
そして僕は一発で須田さんの物作りの情熱に魅せられた。

ちなみに、このコラムのタイトルバックにある、
「カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。
そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・」
は、このとき須田さんに教えて貰った言葉。

須田さんは、僕より一回り上だから今年62歳。
その情熱は、今も代わらず輝きを放ってる・・・




「俺は勉強ができなかったからね。」
それが須田さんの口癖。

「だから自由な事が出来たんだ。」
そう笑う須田さんも、30歳まではサラリーマン生活を送っていた
けれど、それまでも漠然と自営の道を考えていた須田さんは、
30歳を機に会社に新設された早期退職制度を利用して雑貨店をはじめた。
退職金をつぎ込み、借金までして物好きがこうじて始めた雑貨店。
でも、全然売れなくてわずか半年で挫折。

「さて、どうしよう・・・」そう思っていたところに、
近所のライブハウスで歌っていたFree Jazzバンドが
自作のTシャツやバッグを須田さんの雑貨店で売って欲しいと持ってきた。
当時珍しかった手書きのプリントがされたそのTシャツやバッグは、
須田さんの予想よりもバンバン売れた。
そしてなにより、須田さんはこの時出逢った様々なミュージシャン達の
自由な生き方に強烈な刺激を受けたんだ。

「カバンぐらいなら俺でも作れるんじゃないか?」
そう思った須田さんは、その日のうちにミシンを購入。

そこから、須田さんの既存の枠に収まらない自由な発想と
本能的な物作りへのこだわりが加わったカバン作りが始まるったんだ。

そして、1980年代、渋谷にオープンしたばかりの東急ハンズと思いがけず取引が決まり、
須田帆布は信じられない程のヒット商品となる。

僕が出会うのはそれから10年後の1993年。
もう、須田帆布のカバンは全国的な人気を博していた。


須田さんと出逢った頃、僕はバギーポートさんと商売を始めた頃。
それまで、他人のデザインの鞄ばかり作っていた僕に、
「自分の鞄を作ろうよ!」
そう言ってくれたのはバギーポートの社長さん。

僕は、初めて自分で考えたバッグをバギーポートさんの展示会に出させて貰った。
けど、年に三度ある展示会にずっと出させて貰ってたけど全然売れなかった。
それでも、売れない事はすぐ生活に直結するので、僕は必死に鞄を作った。
何度も何度も考えて、革の凄いバッグを作ったりもした。
でも、やっぱり売れなかった。

ある年の展示会、僕が必死にバイヤーさんに、
自分の作った鞄がいかに作るのに苦労したかを語っているの見てた須田さんが、
「あんた、今から俺んとこ来れるか?」
そう言ってきた。

「いえ、今展示会の最中ですから・・・」
そう、答えようとした言葉を遮るように須田さんは、
「こんなところにいたって仕方ない。うちに来い」と強引に展示会場から連れ去った。

須田さんの自宅で、僕は須田さんと差し向かいになりお酒と料理をご馳走になった。
そして、少しほろ酔いになった頃、須田さんは厳しくそして優しく僕にこう言ったんだ。

「お前さんのカバンは一生懸命すぎる。
 一生懸命やるのは大切な事だ。
 でもそれが見えちゃいけない。
 お客さんはそんな事を望んじゃいない。
 お客さんはカバンを買って幸せな気持ちになりたいだけなんだ・・・」

それは、僕の一生の金言となった。



普天間問題が簡単に解決できない問題である事は、国民は皆わかってる。
それには憲法改正を含めた日本人にとって大きな決断をすべき問題を含んでいる事もわかってる。
でも、だからこそ慎重に発言し実行する事を国民は望んでいたんだ。

誰も、鳩山首相が一生懸命する姿を見たいとは思っていない。
国民は、幸せな気持ちになりたいだけなんだ。
この国の未来に思いを馳せた時にね・・・




「感動なんだよ結局。
 自分が作った物が、人に感動を呼び起こせる事ができるかどうかなんだよ。」

                              (須田栄一)








5月のカバン【ボッテガ・ヴェネタ】



いやー、みんな!とうとうゴールデンウイークに突入したね。
みんなは、どこかに遊びに行く?
うらやましいな。僕はこのゴールデンウイークもいつもと変らず仕事だよ。

そうそう、「ゴールデンウイークにどこか行く。」と言ったら、
この5月4日に、とうとう鳩山首相が沖縄に行くらしいね。
結果は見えてるけど・・・

ま、この問題に関しては、日本人みんながもっと沖縄のことを勉強しなくちゃね。
歴史とか、文化とか。

例えば、みんなは沖縄が、
京都に次いで通産大臣による伝統的工芸品の指定品目の数が多いって、知ってた?
京都府が16品目で、沖縄県は13品目で新潟県と並んで全国第二位を占め、
他の都道府県を大きく引き離しているんだって!

そういえば、「琉球びんがた」や「琉球ガラス」「琉球漆器」や「首里織」「壺屋焼」・・・
一度は耳にした事あるよね。

沖縄の自然が生み出した工芸。
それは、材料はすべて沖縄本島や宮古、八重山原産のものを使用していて、
どれをとってみても「色彩が明るく、かつ、おおらかである」という沖縄独特の味わいをもっているんだ。
絶対に、残していきたいよね。

そうそう、鞄の世界でも伝統工芸を大事にし、
今や世界有数のラグジュアリーブランド(豪華なブランド)に躍進したブランドがあるんだよ。

それは、前にもイチローのカバンの時お話した【ボッテガ・ヴェネタ】。
あの時はイチローがWBCで持っていたカバンが、【ボッテガ・ヴェネタ】のもので、
お値段372万円なんだ・・・って話だったね。

そう、この【ボッテガ・ヴェネタ】。
高級品が売れない、売れないと言われる昨今でも売上を伸ばし続けているんだ。
その秘密を知りたい?じゃ、今月のカバンは【ボッテガ・ヴェネタ】で決まり!



【ボッテガ・ヴェネタ】は1966年、イタリア・ヴェネト州で、
モルテドという夫妻が創立した高級皮製品ブランド。

ヴェネト州は、パダナ平野の北東に位置する人口約440万人、
総面積18,377 平方キロメートルの州で、州都ヴェネツィアをはじめ7つの県からなっている。
ヴェネツィアを代表として、ヴェローナ、パドヴァなど芸術、歴史的遺産もあり、
観光においてもイタリアでは重要な州なんだ。

実は、このヴェネト州は14世紀はじめから約4世紀に渡って、
広大な領地と海運力を持つ「ヴェネツィア共和国」という、独立都市国家だったんだ。

だから農業から近代産業まで、まさに一国の機能が、
今も満たされている州の一つなんだよ。

近代に入ってからは、フランスやオーストリアの統治下にあり、
都市国家時代も含め、長い期間貴族社会が続いた。
この貴族社会の影響が大きく残っている地域はイタリアには数多くあるんだけど、
特にヴェネト州では、この貴族の末裔が地元の職人企業を支えてきた。
また、一方で職人たちも、
そのような階級の人々に敬意を持って接する習慣が未だに残っている。

このような習慣は保守的であるという見方もあるんだけど、
貴族社会の影響が未だ濃く残っていた時代から、
文化レベルの高い製品の供給に努めてきた地場産業の支えともなっているんだ。

だから、ここでは伝統工芸が生き残った。
その一つが、【ボッテガ・ヴェネタ】の革職人の技術、「イントレチャート」なんだ。

「イントレチャート」とはイタリア語で「手編み込み」を表す言葉。
簡単に言えばメッシュ加工だと思ってくれていいんだけど、
この「イントレチャート」は、ただのメッシュ加工とは全く似て非なるもの。

普通の、メッシュ加工は紐状や帯状のものを編みこんでいくんだけど、
この、「イントレチャート」は一枚の革を短冊状に切り、
それを重ね合わせて編みこんでいくもの。
単体になった紐や帯だと毛糸編みたいに立体にするのにそう難しくは無いんだけど、
平面の革を編みこんで立体にするのは至難の技なんだよ。
おまけに使用するのが、ラムスキンなどの柔らかい革なんで、
テンションのかけ方が非常に難しいんだ。
まさしく伝統工芸!

で、【ボッテガ・ヴェネタ】はこの技法を用いたバッグや財布を製造したんだけど、
まだ、この時点では、数あるイタリアのバッグブランドのひとつに過ぎなかったんだ。


【ボッテガ・ヴェネタ】が躍進するのは、2001年2月のグッチ・グループに加わることから始まった。
グッチの話は前にもしたよね。
グッチ一族は既に誰も残っていなくて、別の会社に経営権が移ったとこと。
それが、フランスを本拠地とする流通会社 PPR (元 Pinault-Printemps-Redoute) 。
その、PPRからクリエイティブ・ディレクターとして【ボッテガ・ヴェネタ】に送り込まれたのが、トーマス・マイヤー。

トーマス・マイヤーは1956年、ドイツのシュヴァルツヴァルトに接する、
プフォルツハイの建築家の一家に生まれた。

その後パリに移り、
同市のシャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ
( パリクチュール協会付属モード学校) の元で経験を積む。

マイヤーはフランスやイタリア、ドイツにある一流のファッション・ブランドや
最高級品を扱うブランドで、デザイナーとしてのキャリアを築き、
ギ・ラロッシュに勤めた後はソニア・リキエルで8年間、メンズウェアのデザインを担当したほか、
レビオンでは4 年間、クリエイティブ・ディレクターを務めた。
また、エルメスではレディースのプレタポルテのデザインを9年間担当し、
その間、革製品やアクセサリーのデザインも手がけた。

目標に集中して取り組み、主体的に行動し、
また仕事に対する情熱を持ったマイヤーは、
熟慮を重ねながら積極的に【ボッテガ・ヴェネタ】の拡大を進める。

けれどもブランド拡大という使命に取り掛かる前に彼は、
彼自身が「4 つの礎石」と呼んでいる、
「高品質の素材」、「卓越した職人技」、「現代的な機能性」、そし「て時代を超越するデザイン」
という4つの基本原則を打ち出したんだ。

マイヤーは、「ブランドロゴを前面に打ち出す」という現在の主流であるブランド戦略をとらず、
「カバンに刻むのは自分のイニシャルだけで十分」という、
シンプルで高品質を売りにしていた【ボッテガ・ヴェネタ】の従来からあったスローガンを再び掲げ、
かっての伝統に立ち返ったんだ。

しかも、マイヤーは、【ボッテガ・ヴェネタ】のその伝統を守るため、
ヴェネト州の伝統工芸を守るため、
激減する職人の後継者づくりにも着手する。
そう、ヴィチェンツァに職人学校“La Scuola della Pelleteria” を開校したんだよ。

一方、【ボッテガ・ヴェネタ】としては、
レディースとメンズのプレタポルテのフル・コレクションに加え、
アクセサリー、ファインジュエリー、ファニチャー、椅子類、テーブルセッティング類、
デスクトップ類、ラゲージ、磁器製品、アイウェア、ルームフレグランスと、
人々のライフスタイルまでを提案していくんだ。

そして、その【ボッテガ・ヴェネタ】の提案するライフスタイルをお客さんに味わってもらう為に、
ニューヨークとローマのセントレジス・ホテルでは他に例のない、
高級感に溢れたボッテガ・ヴェネタのスイートルームを用意しているんだよ。

凄いよね。
マイヤーははこうして高級品ビジネスのあり方さえも変えたんだ。

でもね、彼の根底にあるのはやはり伝統工芸へのレスペクト。

例えばマイヤーは昨年9月に日本に来日し、
東京大学、の大学院・工学系研究科で、
建築学を専門とする千葉 学氏のゼミとパートナーシップを結び、
学生を対象としたデザインコンペティションをおこなうというプロジェクトを立ち上げたんだ。

千葉氏ゼミの学生は日本人、イラン人、イタリア人、スペイン人……ととても国際色豊か。
そして、その中の18名の学生がコンペに参加した。

その、コンペのお題は、
「座っている人に対する何らかの機能性を持った家具を1点デザインすること」。
しかも「最高の品質や時代を超越するデザイン、職人の手による技巧を尽くした物作りという、
ボッテガ・ヴェネタの伝統を踏まえたものであること。」
 
ね、面白そうでしょ。

で、優秀作品3点が2010年4月、ミラノ・サローネ国際家具見本市にて、
【ボッテガ・ヴェネタ】の新本社でおこなわれるプレゼンテーションに展示されたんだ。
ミラノ・サローネ国際家具見本市ってのは世界一の家具の見本市。

で、これが、優秀作3点。
そして、【ボッテガ・ヴェネタ】は、今年のミラノ・サローネ国際家具見本市の話題を独占した。

何故、彼はこんな事をするのか・・・
その質問に対して彼はこう述べているんだ。

「私自身、自分が頑張ってきたということもあるけれど、たくさんのチャンスにも恵まれてきた。
これからは若いひとたちにもチャンスを与えていきたい。
次世代のクリエイターを支援してくということは、
私や私と同年代のデザイナーたちのミッションでもあるんだ」

そして、マイヤーは更にこう続ける。

「私自身、何度か来日して、
日本の素晴らしい伝統工芸を目の当たりにする機会が今までたくさんあった。
日本に限らずだけれども、伝統工芸を後世に伝えること、これも私のミッションだと思っている」




5月4日、鳩山首相が訪れる沖縄・・・

その沖縄はこの【ボッテガ・ヴェネタ】の発祥の地、
ヴェネト州ととってもよく似ている。

沖縄は、かって琉球王朝という自然豊かな独立国だった。
その自然が生み出した数々の伝統工芸。
それは、薩摩支配や第二次世界大戦などで何度も危機にさらされた。
そして、アメリカの占領。

それでも、沖縄の伝統工芸はそれを守ろうとする人々の手で必死に守られてきた。

みんなも今一度、沖縄の伝統工芸を見直してみないかい?












4月のカバン【アークテリクスのバックパック】。
やー、みんな!4月だね~。

みんなのところはもう、桜の開花宣言は出た?
こちら、関西はとっくに出たってのに、ここ数日は、まさに花冷えといった陽気だよ。
ほんと、この季節、暖かさへの期待が大きいだけに、
花冷えの陽気だと、「裏切られた・・・」って感情を伴うよね。

「期待が大きいいだけに、裏切られた」って感情が伴うといえば鳩山政権か・・・。

首相と幹事長の「政治と金」の問題に始まり、北教組の違法献金。
国家公安委員長が路上キス写真を撮られたと思ったら、
目立ちたがりの、金融・郵政担当相のメチャクチャな郵政民営化への逆行発言。
もっとも、この大臣に限らず、各閣僚がそれぞれ好き勝手な発言をしている事が一番許せないよね。
いったい、この政府はどこを見て政治をしているのか全く解らないよ。

だいたい、政府は全員が一つの方向を見て、
それに向かって日本を動かしていくのが仕事だろう?
各自の見てる方向がてんでバラバラじゃ話にもならないよ。
もっと、チームとしてまとまりを持って一つのことに取り組んで欲しいよね。

よし、じゃ、今月はそんな鳩山政権に是非見習ってもらいたいブランドを紹介するね。
それは、先月オリンピックも開催された、
カナダはバンクーバーを拠点にしているブランド、【アークテリクス】。
今月のカバンは【アークテリクスのバックパック】。


a-ku



カナダといえばロッキー山脈や、コロンビア山脈といった高い山々を持するクライマー達の憧れの地。
そのカナダはバンクーバーにあったハーネス製造メーカー「Rock Solid」が。
【アークテリクス】の原点なんだ。

ハーネスとは簡単に言うと、登山者が身につける安全ベルト。
「Rock Solid」のハーネスは、丁寧でフット性が高く地元のクライマーに愛用されていた。
やがて、その評判は全国の多くのクライマー達にも波及し、
その品質の高さは彼らに認められるようになった。
1991年、「Rock Solid」は社名を【アークテリクス】とする。

【アークテリクス】は従来の縫製して作られるハーネスに、
必然として出来てしまう生地のしわを問題視し、
そのしわを取り除く為にバックルShaha buckle発明。
その後、何度も失敗を繰り返しながら、
ついに市場には存在しないほどのフット性を生むハーネスを完成、
コアなクライマーの間にクライミング製品へのパラダイム変換を促したんだ。

そして、【アークテリクス】は従来の製品と全く違うコンセプトや方法で、
作られるものを創り出すブランドとして認知され始めた。

そうなると、クライマー達は、ハーネス以外の商品も【アークテリクス】に求めるようになり、
【アークテリクス】はハーネス以外の登山用品も手掛けるようになり、
ここから大躍進を遂げるんだ。

何しろそのブランドコンセプトは、
「地球上にある最高のマテリアル、最高の技術、
そして革新的なデザインで商品を作り上げる事」ってんだから凄いよね。


その、製品開発における基本的な姿勢は、
①防水性や強度を落とす縫製の縫い目を最小限にする。
②ラミネート加工、立体裁断、立体モールド熱成型の独自技術の活用。
③既存の加工技術を一切無視し、素材そのものの研究や構造に新しい着目点で
  独自の加工技術を社内において開発する。
④デザイナーは固定概念にとらわれる事を嫌い、
皆、得意なアウトドアに精通しミシンが使えて自分のサンプルをいつでも作れる。  


そして、そうして独自開発された主な技術は、
①熱成型3次元サーモフォームモールディング加工 
 (パック背面、ウェストベルト、ショルダーハーネス、クライミングハーネス)
②止水ジッパー(ウォータータイトジッパー)の開発 
 (ゴアテックスジャケット、パンツ、パック)
③業界最細の縫製シーム幅と13mmタイニーテープ採用
 (ゴアテックスジャケット)
④異素材同士のラミネート加工技術 (ウェア、パック)
⑤防水生地(ウォータータイトファブリック)の開発 (パック)
 といった、そうそうたるもの。


でね、【アークテリクス】の本当の凄いところは、
これら、米国YKK社、米国Gore、米国Molden Mills社、東レなど
素材メーカーと共同開発した製造技術を、
業界における製品クォリティーのスタンダード向上の為に一切独占していないことなんだ。
凄いよね!


現在の【アークテリクス】のCEOは、テイラー・ジョーダン。
デザイナールームは本社二階建ての二階。
ほぼ全てのスペースを約10名の中心となるデザイナーが想いのままに使用している。
素材メーカーが持ち込んで来る新素材をデザイナー達がマイクロスコープで吟味し、
場合によっては改良を求め共同開発しながら、
常に最良の素材を解剖学に基づいた美しいデザインで製品化しているんだ。

そしてCEO、テイラー・ジョーダンは自分の会社をチームと呼ぶ。

ここからは、2007年に雑誌のコヨーテの特集、 
「空を飛んだトカゲたち」(アークテリクスとは、化石に残る始祖鳥の学名)
での貴重なCEOやデザイナーたちのコメントを羅列するね。
きっと、みんなにも何かを感じてもらえるよ!






「まずは考えないで、アクションをとることさ。
材料がそこにあったら、まずはナイフを持っていくんだ。
鉛筆が決めるんじゃないんだよ。ナイフが決めるんだ。」

 (アークテリクス・デザイナー:ダン・ジャクソン)




「会社が大きくなるに従って、バランスを取る事が難しくなってきます。
お客様からはこういったモノが欲しいという声、
営業の人からはこういったモノが絶対売れるという意見、
こういう意見にただ従ってしまってはいけないのです。
そのバランスとは市場が要求してくるものと、
我々の作りたい物の均衡ということです。

我々の商品はパフォーマンスが第一です。
その事がいつも我々の意識の中に存在していて、
市場の声にはもちろん注意を払っていますが、
その声だけに振り回されないことも注意しています。」

(アークテリクスCEO:テイラー・ジョーダン)




「一番最初の段階からアウトドア気遣いという、共通点があったことなんだ。
僕を含めて仲間にはダン・ジャクソン、ラリー・リート、トム・ルース、トム・フェイル
といった連中が要るけど、皆が同じような指向性を持ち寄っているんだ。」

(アークテリクス技術開発:マイク・ブレンカーン)




「モノ作りで一番重要なものは実際にモノを作るって事なんだ。
まず、アイデアを考え、そいつを実際に作って、テストして、
又、始めに戻ってアイデアを考え、作っていくのが重要なんだ。」

(アークテリクス・デザイナー:ダン・ジャクソン)


 

「仕事に集中して、全身全霊を傾ける事と、
その全く反対にその全てを頭から抜いて忘れてしまう事は同じ位に大事なことだよ。
 
(アークテリクス・デザイナー:ダン・ジャクソン)



 
「クライミングハーネスがいい例です。
何年か越して、我々が引き続きやっていくべきなのかという議論がありました。
やる力はあっても長い間、力を入れてこなかったのも事実です。
その結果としてハーネスは我々のビジネスの中では、
非常に小さいものになってしまっていました。
まだまだ、市場での競争力はあったけれど、
そこに十分な力を注いでいるという状況ではなかったのです。
私が社長になる以前から、このプログラムを存続させる為のファイトをし続けてきました。
それは、我々の会社の伝統がどこからきたのかを、
忘れてはならないということなんです。
たくさんの異論も出ましたが、幸運にもこの意見を生かしつづけられたんです。
私が社長になった時、チームの全員に、
我々はクライミングカンパニーであるという情熱を反映したんです。」

(アークテリクスCEO:テイラー・ジョーダン)




「クライミングハーネスへの再挑戦に我々の会社の本当の強さがあると思います。
この分野は我々のビジネスの中では決して大きくない、むしろ小さなものです。
しかし、純粋なビジネス的な動機付けとは別に、
本当の意味でのパッションを持ってあたれた事が、
このチームにとって正しいことであり、私の信じる事であります。」

(アークテリクスCEO:テイラー・ジョーダン)



「まず、アイデアを鉛筆に託します。
そのエネルギーというか、
霊的な力とでもいうようなモノを直接素材にぶつけるのが重要です。
曲線を色々な角度から眺め、そこに定規を当ててもう一度見てみると、
あったはずの連続性というか、流れというものが失われてしまいます。
そのパターンを修整する際に僕はナイフを使います。
昔はコンピュータも使ったし、今も面白い機械とは思うけど、
僕にとってナイフは普通の筆のようなんです。」

(アークテリクス・デザイナー:ダン・ジャクソン)



「三年間ハーネスの事をやってきましたが、
大きな変化の為の小さな変化を絶えず作ってきたのです。
自分が学んだものを、まるでハンマーや釘のようにツールにして、
新たなものを作りだせるようになるんです。
その蓄積がアークテリクスを特別なものにしているのです。」

(アークテリクス ハーネスデザイナー・イアン・マーチン)




「自分達の魂の声に導かれ進む道の途上にあるもの・・・
 それがアークテリクスなのです」

(アークテリクス社長・テイラー・ジョーダン)





ね、どう?
素晴らしいでしょ。
国づくりにも通じる事がたくさん含まれてたよね。

選挙に勝つことが政治家にとって大事なことは分かる。
だから、百歩譲って政党が選挙に勝つことを考えて発言することは許してもいい。
だけど、政府の中にいるものが、選挙のことしか考えられないなら、
そんな人は即刻やめてもらいたい。

政府は、日本という国を作る大事なチームなんだから・・・









“よいデザインは一人でできるが、
素晴らしいデザインはチームでしかできない”

          ダン・ジャクソン(アークテリクス・デザイナー)


 













3月のカバン【鞄職人・鷲頭一郎氏】



やー、盛り上がったね、バンクバーオリンピック!
みんな見てた?
思えば、二月はたくさんの涙を見た月だったよね。

モーグルの上村愛子ちゃんに始まり、カーリングの本橋麻里ちゃん。
男子では、ジャンプの葛西紀明さんの涙も良かったよね。

で、間にトヨタの豊田章夫社長の涙なんかも挟んで、
極めつけのフィギアの浅田真央ちゃんとキムヨナちゃんの涙。
本当、感動させられたよね。

それにしても、キムヨナちゃんのあの目。
巷では、女優の池波志乃の目にそっくりだという噂だけど、
あの熟女女優の眼差しを19歳にして持ち合わせているってんだからたいしたもんだよね。

ま、嬉し涙のキムヨナちゃんは別にして、浅田真央ちゃんのあの涙。
あの、イチローをして、「2位で涙を流したのなら、すごい話。うれし涙でもおかしくない。」
と感心させた悔し涙姿には、思わす日本中が「銀でいいよ真央ちゃん!」と慰めたくなったよね。
そう、「採点方法がおかしい!」って、ショートプログラムが終った時点で誰もがそう思ったもん。

それと、もう一つみんなが評論家となって喧喧囂囂と議論したのが、
タラソワコーチから与えられた、ラフマニノフの「鐘」というフリーの曲。

帝政ロシア時代に作られ、
「自由と解放を願う国民の強い願いを表現している」と言われるこの荘厳な曲が、
真央ちゃんの明るいイメージと合わないんじゃないかと、多くの人が指摘していたよね。
それでも真央ちゃんは、
「鐘は気持ちを強く持ってる。
自分に合わないという意見もあったけど、全然変える気はなかった。」
と、それを乗り越えようとしたんだよね。

僕は、この話を聞いて、最近会った一人の鞄職人のことを思い出したんだ。
その人の名は、鷲頭一郎さん。
だから、今月のカバンは【鞄職人・鷲頭一郎氏】。

鷲頭さんと会ったのは、バンクーバオリンピックが始まる前の今年の二月始め。
仕事の打ち合わせで、わざわざ遠く神奈川から神戸の僕の工房まで足を運んでくれたんだ。

鷲頭さんは、以前にこのコラムでも書いた、
「鞄」という文字を始めて使った谷澤貞三氏の、
「銀座タニザワ」のダレスバッグの製造を託されている日本でも指折りの鞄職人。
その名声は兼ねてよりお聞きしてたんで、僕は会うのをとっても楽しみにしてたんだ。

日本でも指折りの鞄職人と聞くと、匠の高尚なイメージが湧くけど、
実際会う鷲頭さんは、とっても穏やかでいつもニコニコとしている方。
会った瞬間、「あっ、僕と同じ匂いがする・・・」と思ったよ。

で、工房の企画室で、その鷲頭さんが自分の成り立ちを話してくれたんだ。






鷲頭さんは、1957年生れ。僕より三才年上。

鷲頭氏:「僕のは、師匠もいなく、誰に習ったのでもなく自己流だからね。恥ずかしいですよ。」
鷲頭さんは、テーブルの向こうで、笑顔を絶やすことなくそう話し始めた。

鷲頭氏:「学生時代にね、
ひょんな事から‘イビザ’ていうバッグメーカーでアルバイトすることになったんです。
     そこで、バッグ作りの真似事みたいなことをしてたら、任されるようになって、
     数年経ったら、僕がパートさんなんかにバッグ作りを教えることになっちゃったんです。」

鷲頭氏:「そのうち、営業も任されるようになったんです。
     そうそう、神戸にもその頃一度来たことがあるんですよ。何て店だったかな・・・
     担当が、岡山以西の中国、四国、九州地方だったから立ち寄っただけですけどね。」

鷲頭氏:「でも、そんなことをしいるうちに、
こんないいかげんな鞄作りをしていていいのかな・・・
     って思って。それでそこを辞めて本格的に鞄職人になろうと思ったんです。」

鷲頭さんは、1985年 鞄メーカー「クラブハウス」に籍を置き、
1ヵ月半イタリア、スペインなどの鞄職人の仕事を見て歩く。

鷲頭氏:「でね、自信を持って作った鞄を、
‘イビザ’時代にお世話になった小売店に持っていったの。
     そしたら、その先々で、『こんなの誰が買うんだ!』って言われて、
     まったく、売れなかったんです。散々だったんですよ。
     そんな時、出会ったのが吉岡さんなんです。」

1987年鷲頭さんはバッグ デザイナー吉岡克氏が主催する「スタジオバッヂ」に入社する。
吉岡克氏は、日本有数の本当の意味でのバッグデザイナー。

鷲頭氏:「びっくりしましたよ!鞄の絵を画くだけでお金を稼げる仕事があることにね。
     僕の転機になったのは吉岡さんに出会ったことですよ。
     それからは、僕と吉岡さんの戦いでした。」

鷲頭氏:「吉岡さんの要求はとても高度でね。
     でも『それに負けちゃいけない。答えなきゃいけない。』と思って頑張ったんです。
     そしたら、何年か一緒に仕事をしているうちに、
     『吉岡さんならこう考えるだろう。こうして貰いたいと思うだろう。』
ということが解りだしたんです。」

鷲頭氏:「職人はどうしても一人で鞄を作ると自分の作りやすい方にと走ってしまいます。
     楽をしようと思っているんじゃないんですよ。只どうしても流されちゃう。
     でも、そこにデザイナーの要求が入るとやっぱり技術が磨かれるんですね。
     今日の僕があるのは吉岡さんのおかげなんです。」

鷲頭さんは最後まで笑顔を絶やさずそう話してくれました。




僕が、浅田真央ちゃんの話を聞いて何故鷲頭さんを思い出したかもう解ったよね。
そう、フィギュアの‘選手とコーチの関係’って、
‘職人とデザイナーの関係’にとってもよく似てると思ったんだ。

今回、真央ちゃんは銀で終ったけど、
タラソワコーチから与えられた「鐘」を踊ることで成長したことは間違いない。

幸いにも真央ちゃんは4年後のソチオリンピックを目指すことを表明してくれた。
僕らは4年後、「あの悔し涙があったから、この嬉し涙が見れたんだ・・・」
と思える日が来る事を信じてる。





















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