たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
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8月のカバン【FENDI】





「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり・・・」

やー、みんな。暑い毎日が続くけど元気かな?
ところで、「しょっぱなから何の呪文か?」って。
「悪魔くん」だよ、「悪魔くん」。
そう、実は僕は今NHKの朝ドラ、「ゲゲゲの女房」にどっぷりとはまっているんだ。

漫画、「悪魔くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である、
水木しげるさんの奥さんの手記を原作とするこのドラマ。
実に面白い!!!

第二次大戦後の昭和の時代を舞台に、
家族の愛や、友情、物作りの情熱をテーマに毎回感動を与えてくれるんだ。

その中でも、最近僕が一番感銘を受けた場面は、
シベリアに抑留された後帰国し、全てに投げやりになっていた男が、水木しげるさんに対する場面。

実は水木さん、大戦で左腕を無くしているんだけど、その水木さんに男がこう言うんだ。
「あんたもそうだろう。そんな身体になって他にやることが無いから漫画なんか画いてるんだろう。」

すると水木さんは、少し困った風にこう答えるんだ。
「そんな事考えたことないですな。自分は好きで漫画を画いとります。」

その、水木さんの自信に満ちた言葉と態度に男は再び仕事を始める事を決意するんだ。

水木さんの仕事に対しての 「誇り」と「責任」 そしてその仕事への「情熱と愛情」。
それは、多くの日本人が今無くしてしまっているものかもしれない・・・
そんな事を考えさせられたんだ。

そして同時に僕はある言葉を発した、あるひとりの人物思い出した。
それは、ファッション界の「皇帝」と呼ばれるカール・ラガーフェルド。

フェンディ、シャネル、クロエ、そして自分のブランドの4つのメゾンのデザイナーを兼任し、
超多忙な毎日を過ごすカール・ラガーフェルドが仕事について聞かれたとき答えた言葉が、

「仕事でなにが楽しいかって? それは仕事そのものだよ」なんだ。


よし、んじゃ、今月のカバンはそのカール・ラガーフェルドが手掛けたブランドの一つ、
【FENDI】について書こうか。



ダブルF柄(ズッカ柄)で有名な【FENDI】は、そのマーク通り、二人のフェんディーよって設立された。
1925年、ローマでエドアルド・フェンディ&アデーレ・フェンディ夫妻が
ローマのプレヴィシート通りに小さな皮革製品の店と毛皮工房をオープンしたのが始まり。

1946年、ピアーヴェ通りに店をオープン。
これを機に創始者の娘、パオラ、アンナ、フランカ、カルラ、アルダのフェンディ五姉妹が会社に従事し始める。
その後、彼女達の才知と手腕によって、店は発展。

1965年にカール・ラガーフェルドが毛皮のデザイナーに就任。
ラガーフェルドは、かつて試されたことのなかった、
織り込み、重ね込み、エナメル加工、ステッチ使いなどさまざまな技法を駆使。
このカールの革新的なデザインは、毛皮のイメージをクラシカルなものから
クリエイティブで機能的なものに一新したんだ。

こうして、【FENDI】はほかの毛皮専業メーカーの追随を許さない、
ラグジュアリーで個性的なモードブランドへと成長した。

1969年、毛皮コートのプレタポルテを発表と同時にバッグや小物も発表。
このときに、1940年代からコートや羊のバッグの裏地として使われていた「ダブルF」の柄にカールが着目、
これを表側に使うよう提案し、有名な「ズッカ柄」が誕生。

1977年には毛皮や革製品にコート、ジャケットなど幅広いアイテムが加わり、
本格的なプレタポルテをスタート。

1997年、フランスパンを小わきに抱えているかのように持ち歩くことから名づけられた、
新作バッグ「バゲット」を発表。一大ブームを巻き起こす。
こちら関西では、甲南女子大の女の子達が広めたとされ、「南女持ち」なんて名づけられたよね。

1999年、新作バッグ「ロールバッグ」を発表。
同年、LVMHグループとプラダが資本参加し、合弁会社を設立。

2000年、直営店のネットワークを強化、全世界で4店舗から83店舗まで拡大。
2001年、プラダが保有する合弁会社の株のすべてをLVMHグループが買収。

この頃よりバッグのセレリア・ラインを発表。
創業者アデーレとエドアルド・フェンディが、
乗馬を好んでいたことにインスピレーションを得て誕生したこのラインは、
ローマの伝統的な馬具に使用される貴重な革「キュリオ・フィオレ」を使用し、
特徴的な、持ち手やへり部分のステッチも含め、全工程が専門の職人の手作業で行われている。

2003年春夏コレクションで新たに発表されたのは、
古代ローマの戦車にインスピレー ションを得た新作バッグ「ビガ」。
SFムードただようシルバーメタリック色のバッグは、今まで見たことのない斬新なデザイン。

そして、現在はフラップ部分がガマ口になった異色のデザイン「スパイ」シリーズが大人気となっているんだ。


一方の、カール・ラガーフェルドは、

【FENDI】のデザイナーに就任する二年前の1963年、クロエのヘッドデザイナーに抜擢。
1965年から【FENDI】のデザイナーも兼任し、
1983年からは、ココ・シャネル亡き後低迷していた、シャネルのデザイナーに就任。
シャネルを立て直す。
馬鹿でかいサングラスが大ヒットしたよね。

1984年、自身のブランド「カール・ラガーフェルド」をスタート。

1986年、デ・ドール賞(金の指貫き賞)受賞。
1988年、マルティーヌ・シットボンにクロエのデザイナーをバトンタッチするが、
1992年、再度デザイナーに復帰。
結局クロエは5年間勤めた後、97年にステラ・マッカートニーにバトンを渡す。

2004年にH&Mとコラボレーションで「Karl Lagerfeld for H&M」を展開し、大きな話題となる。
2005年、自身のブランドを、トミー・ヒルフィガーに売却。
2008年、TIME誌が選ぶ最も影響力がある100人にファッションデザイナーとしては唯一選出される。
2009年、レペットとのコラボレーションでフラット・サンダルとプラットフォーム・ヒールを発売。
そして、現在に至っているんだ。

ね、凄い人でしょ。
こんな人が、「仕事そのものが楽しい」って言うんだよ。
考えさせられちゃうよね。



でね、もっと凄いのがカールの周辺で働く人たち。

「サイン・シャネル カール・ラガーフェルドのアトリエ」というドキュメントでの一コマ。

舞台は 「シャネル」のオートクチュールのコレクションに向けての職人たちの仕事場。

職人と言ってもお針子さんたちは普通のおばさんたち。
そのお針子さんたちが、カールのスケッチのドレスを作り上げるのだが、
やっと仕上がる寸前でカールの要求が変わったり、没になったりする。

それでもこの仕事が好きだという一人のお針こさんに「この仕事の魅力は?」と
インタビュアーが質問すると彼女はこう答えるんだ。

「困難なことね!」 




僕が、「ゲゲゲの女房」にずっぽりとはまってしまったのは、
いくら貧乏をしようとも自身の仕事に対するスタンスがぶれない水木さんの姿勢に、
自分の姿を重ね合わせているから。

今、僕たちは「TIPZONE」と言うブランドを育てている真っ最中。
そのコンセプトは、
「妥協を許さない質へのこだわり、
外観の美しさだけでなく生活の道具として、合理的で機能的な美しさの追求。」
というもの。

当然高額の商品となり、それは、今の時代には合わないかもしれない。
苦戦もしてきた。心無い言葉も掛けられた。
けれども、ここになって少しずつ少しずつ世間に認められてきたんだ。

今、もう一歩。
僕らは水木さんの言葉や、カール・ラガーフェルドの言葉、お針子さんの言葉を胸に、
仕事に取り掛かろうと思うんだ。









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