たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
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10月のカバン【目を失った鞄職人】


やーみんな!やっと秋らしい気温になってきたね。 

今年の夏は記録的な猛暑だったけど、
その影響で来春の花粉の飛散がすごいことになるらしいよ。
今からみんなも花粉対策をしていた方がいいかもね。
クシャミが止まらないとほんと辛いもんね。

そうそう、クシャミと言えば少し前までは「アメリカがクシャミをすると、日本が風邪をひく。」
と言われていたけど、今や「中国がクシャミをすると、日本が風邪をひく。」
と言われるようになっているらしいね。

それだけ、日中の二国間の経済が絡み合っているってことだけど、
それにしても、今回の尖閣諸島での衝突事故を巡る中国政府の対応は酷いね。
日本政府の弱腰な対応もどうかと思うけど、
中国のそれにはあきれるのを通り越して怒りさえ覚えるよね。

僕は、大学で東洋史を学んでいたんで、
少しは中国に対して尊敬の念を抱いていたこともあったんだ。

でも、ここ20年ほどの間の経済発展の間に、中国はどうしようもない国になってしまった。
そして、僕はこんな中国にした責任の一つが日本にもあるような気がしてならないんだ。
それは、僕が中国の事を考える時必ず頭に浮かんでくるある職人がいるからなんだ。

よし、んじゃ、今月の鞄はそのことを書こうか。
今までと少し趣が違うんで番外編と言うことで、今月のカバンは【目を失った鞄職人】。





それは、今から約25年前のお話。

前にも話したように、僕がまだメーカの橋渡しのような仕事をしている時、その人に出会ったんだ。


ある、アパレルメーカに革の鞄を依頼されたんだけど、
お付き合いをしているメーカーさんが革を扱えなくて、ある鞄職人さんを紹介してもらったんだ。

僕の父親と同じ歳のその人は、
鬼瓦のような顔をしていたけど、いつもにこにこしていた。

グローブのような大きな手で、見事なまでに型紙もなしに
包丁で革をまん丸に切り抜く。

初めて見る職人芸に僕は目を白黒させたものだった。

「ジョブさん(私の会社名)仕事ちょうだいな。」

それがその人の口癖だった。

下請けの下請けをしているその人はすばらしい技術とは裏腹に、
粗末な暮らしをしていたんだ。

或る日その人はいつものようにニコニコしながら、

「ジョブさん、今度中国に技術指導員で行きますねん。」

聞けば大手メーカーの依頼で新しく中国に作る縫製工場の
技術指導員として1年間雇われたという。

今から25年以上前、今と違ってメイドイン・チャイナが
粗悪品の代名詞となっていた時代。

「これで1年間、食いっぱぐれがないですわ。」

その人はいつも以上に、にこにこ笑ってそう言ったんだ。




それから1年程して、その人から
「お願いがあるので会ってほしい。」という電話があった。

電話のトーンが低いので何事かと僕は飛んで行った。

会って驚いた。

鬼瓦のような顔は明らかに深い皺が増え、頬はこけ
グローブのようだった手は一回り小さくなっていたんだ。

「どうしたんですか?」

「目やられてしまいましてんや。
黒い糸が見えへんのですわ。

廃業しますので、ジョブさんミシンでも何でも
いるもん買うてくれませんか?」

座敷に上がって話を聞くと、行った先の中国の工場は
酷い劣悪な環境下にあったとのこと。

トイレは異臭が漂い、だだっ広い土間に
溝が一本引いてあり、ただ水が流れているだけのもの。

照明も薄暗く工場とは名ばかりでとても人が
作業できるような状態ではないとの事。

食事も日本人が食べる常識のものとはかけ離れたものが出されてくる。

そんな中で1年間働き、帰ってきたら職人の命である目をやられてしまっていたんだ。

「保障はないんですか?」

「そんなもんありますかいな。」

「そんな!使い捨て・・・」

僕は言葉を飲み込んだ。

「これからどうするんですか?」

「ジョブさん、もうミシン踏めませんのや。」

その人は、白く濁ったちいさな目に涙をいっぱい溜めてそう呟いた。







25年前、日本の企業は安い労働力に惹かれてその生産拠点を次々と中国に移した。
それは、僕が関わる鞄の世界だけではなく、ありとあらゆる分野で行なわれた。

その頃の中国は労働賃金は安いけれど、とても日本の技術力に太刀打ちできるものではなかった。
その為、日本企業は技術指導員と言う名のもとに、
自国の素晴らしい技術をただ同然で中国に売り払った。
中国企業も貪欲に日本の技術を吸い取った。

そこまでは、まだいい。

中国企業のお偉いさんたちは、日本企業のお偉いさんが来ると、
こぞって夜な夜な、怪しい風俗店に接待したと言う。
そうしておけば、日本人は喜ぶものと思っていた。

中国を安い労働力としか思っていない日本人。
日本をただで技術を教えてくれるスケベ親父と馬鹿にしていた中国人。

そこには、心の交流どころか、
もの作りの魂のかけらも伝えられていなかった。

もしあの頃から、お互いに欲徳抜きに接しられる関係を築くことが出来ていたら、
少なくとも、民間レベルでは今日の日中関係にはなっていないと僕は思うんだ。

今、日本企業はより安い労働力を求めて、今度はベトナムや、バングラディシュに進出している。
同じ過ちは絶対に繰り返してはならない。













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