たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
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6月のカバン【鞄職人・須田栄一氏】
やーみんな!
あっという間に6月だね。元気にしてた?
僕は今、6月展の展示会サンプル作りでへとへとだよ。

何しろ、これまで展示会サンプル作りはバギーポートさん一件だったのが、
この6月展からTIPZONEさんも開く事になって、とんでもない状態・・・
ま、この時代忙しいに越した事は無いけどね。

それより、とうとうやったね、5月末決着!
そう、鳩山総理の普天間問題5月末決着という約束。
いやー素晴らしい決着のつけ方・・・って、ふざけんな!!!

閣議決定の記者会見を全部見たけど、なんじゃありゃ。
ようは、自分がどれだけ一生懸命努力したかを誇示し、国民に許しを請っただけ。

鳩山さんが、努力したように見えたたのは5月に入ってから。
そう見えただけ。
徳之島出身の長老、徳田虎雄氏に会ったり、やっとこ沖縄訪問したり、全国知事会を招集したり。
でも、国民はよく見てるからね。ウソはすぐばれるよね。
それに、そもそも努力っていうのは見えたら駄目なんだよ。

僕は、このコラムで度々‘国づくり’と‘もの作り'は似たところがあると書いているけど、
‘もの作り'に於いては、一生懸命努力した事がその製品から見えることはよい事では無いんだよ。
よし、じゃ今月は僕にこの事を教えてくれた須田帆布の須田栄一さんの話をしようか。

今月のカバンは【鞄職人・須田栄一氏】で決まり!


僕が、須田さんに始めて会ったのは、もう二十年近く前。
前述したバギーポートさんが起業した当初、須田帆布の商品を扱っていた事が縁で、
バギーさんのスタッフも含め一緒に豊岡に旅行したのが最初。
日本一の鞄の生産地、兵庫県は豊岡市の鞄施設を見学した後、城之崎温泉で一泊したんだ。

須田さんは、このときから、
この後僕が出会う一流の鞄職人が皆持っている穏やかで素敵な笑顔を持っていた。
そして、その笑顔の奥に僕が今まで出会った事の無かった物作りへの情熱も持っていた。
この夜、僕らは全員で夜遅くまで物作りについて熱く語りあったんだ。
そして僕は一発で須田さんの物作りの情熱に魅せられた。

ちなみに、このコラムのタイトルバックにある、
「カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。
そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・」
は、このとき須田さんに教えて貰った言葉。

須田さんは、僕より一回り上だから今年62歳。
その情熱は、今も代わらず輝きを放ってる・・・




「俺は勉強ができなかったからね。」
それが須田さんの口癖。

「だから自由な事が出来たんだ。」
そう笑う須田さんも、30歳まではサラリーマン生活を送っていた
けれど、それまでも漠然と自営の道を考えていた須田さんは、
30歳を機に会社に新設された早期退職制度を利用して雑貨店をはじめた。
退職金をつぎ込み、借金までして物好きがこうじて始めた雑貨店。
でも、全然売れなくてわずか半年で挫折。

「さて、どうしよう・・・」そう思っていたところに、
近所のライブハウスで歌っていたFree Jazzバンドが
自作のTシャツやバッグを須田さんの雑貨店で売って欲しいと持ってきた。
当時珍しかった手書きのプリントがされたそのTシャツやバッグは、
須田さんの予想よりもバンバン売れた。
そしてなにより、須田さんはこの時出逢った様々なミュージシャン達の
自由な生き方に強烈な刺激を受けたんだ。

「カバンぐらいなら俺でも作れるんじゃないか?」
そう思った須田さんは、その日のうちにミシンを購入。

そこから、須田さんの既存の枠に収まらない自由な発想と
本能的な物作りへのこだわりが加わったカバン作りが始まるったんだ。

そして、1980年代、渋谷にオープンしたばかりの東急ハンズと思いがけず取引が決まり、
須田帆布は信じられない程のヒット商品となる。

僕が出会うのはそれから10年後の1993年。
もう、須田帆布のカバンは全国的な人気を博していた。


須田さんと出逢った頃、僕はバギーポートさんと商売を始めた頃。
それまで、他人のデザインの鞄ばかり作っていた僕に、
「自分の鞄を作ろうよ!」
そう言ってくれたのはバギーポートの社長さん。

僕は、初めて自分で考えたバッグをバギーポートさんの展示会に出させて貰った。
けど、年に三度ある展示会にずっと出させて貰ってたけど全然売れなかった。
それでも、売れない事はすぐ生活に直結するので、僕は必死に鞄を作った。
何度も何度も考えて、革の凄いバッグを作ったりもした。
でも、やっぱり売れなかった。

ある年の展示会、僕が必死にバイヤーさんに、
自分の作った鞄がいかに作るのに苦労したかを語っているの見てた須田さんが、
「あんた、今から俺んとこ来れるか?」
そう言ってきた。

「いえ、今展示会の最中ですから・・・」
そう、答えようとした言葉を遮るように須田さんは、
「こんなところにいたって仕方ない。うちに来い」と強引に展示会場から連れ去った。

須田さんの自宅で、僕は須田さんと差し向かいになりお酒と料理をご馳走になった。
そして、少しほろ酔いになった頃、須田さんは厳しくそして優しく僕にこう言ったんだ。

「お前さんのカバンは一生懸命すぎる。
 一生懸命やるのは大切な事だ。
 でもそれが見えちゃいけない。
 お客さんはそんな事を望んじゃいない。
 お客さんはカバンを買って幸せな気持ちになりたいだけなんだ・・・」

それは、僕の一生の金言となった。



普天間問題が簡単に解決できない問題である事は、国民は皆わかってる。
それには憲法改正を含めた日本人にとって大きな決断をすべき問題を含んでいる事もわかってる。
でも、だからこそ慎重に発言し実行する事を国民は望んでいたんだ。

誰も、鳩山首相が一生懸命する姿を見たいとは思っていない。
国民は、幸せな気持ちになりたいだけなんだ。
この国の未来に思いを馳せた時にね・・・




「感動なんだよ結局。
 自分が作った物が、人に感動を呼び起こせる事ができるかどうかなんだよ。」

                              (須田栄一)








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