たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
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3月のカバン【鞄職人・鷲頭一郎氏】



やー、盛り上がったね、バンクバーオリンピック!
みんな見てた?
思えば、二月はたくさんの涙を見た月だったよね。

モーグルの上村愛子ちゃんに始まり、カーリングの本橋麻里ちゃん。
男子では、ジャンプの葛西紀明さんの涙も良かったよね。

で、間にトヨタの豊田章夫社長の涙なんかも挟んで、
極めつけのフィギアの浅田真央ちゃんとキムヨナちゃんの涙。
本当、感動させられたよね。

それにしても、キムヨナちゃんのあの目。
巷では、女優の池波志乃の目にそっくりだという噂だけど、
あの熟女女優の眼差しを19歳にして持ち合わせているってんだからたいしたもんだよね。

ま、嬉し涙のキムヨナちゃんは別にして、浅田真央ちゃんのあの涙。
あの、イチローをして、「2位で涙を流したのなら、すごい話。うれし涙でもおかしくない。」
と感心させた悔し涙姿には、思わす日本中が「銀でいいよ真央ちゃん!」と慰めたくなったよね。
そう、「採点方法がおかしい!」って、ショートプログラムが終った時点で誰もがそう思ったもん。

それと、もう一つみんなが評論家となって喧喧囂囂と議論したのが、
タラソワコーチから与えられた、ラフマニノフの「鐘」というフリーの曲。

帝政ロシア時代に作られ、
「自由と解放を願う国民の強い願いを表現している」と言われるこの荘厳な曲が、
真央ちゃんの明るいイメージと合わないんじゃないかと、多くの人が指摘していたよね。
それでも真央ちゃんは、
「鐘は気持ちを強く持ってる。
自分に合わないという意見もあったけど、全然変える気はなかった。」
と、それを乗り越えようとしたんだよね。

僕は、この話を聞いて、最近会った一人の鞄職人のことを思い出したんだ。
その人の名は、鷲頭一郎さん。
だから、今月のカバンは【鞄職人・鷲頭一郎氏】。

鷲頭さんと会ったのは、バンクーバオリンピックが始まる前の今年の二月始め。
仕事の打ち合わせで、わざわざ遠く神奈川から神戸の僕の工房まで足を運んでくれたんだ。

鷲頭さんは、以前にこのコラムでも書いた、
「鞄」という文字を始めて使った谷澤貞三氏の、
「銀座タニザワ」のダレスバッグの製造を託されている日本でも指折りの鞄職人。
その名声は兼ねてよりお聞きしてたんで、僕は会うのをとっても楽しみにしてたんだ。

日本でも指折りの鞄職人と聞くと、匠の高尚なイメージが湧くけど、
実際会う鷲頭さんは、とっても穏やかでいつもニコニコとしている方。
会った瞬間、「あっ、僕と同じ匂いがする・・・」と思ったよ。

で、工房の企画室で、その鷲頭さんが自分の成り立ちを話してくれたんだ。






鷲頭さんは、1957年生れ。僕より三才年上。

鷲頭氏:「僕のは、師匠もいなく、誰に習ったのでもなく自己流だからね。恥ずかしいですよ。」
鷲頭さんは、テーブルの向こうで、笑顔を絶やすことなくそう話し始めた。

鷲頭氏:「学生時代にね、
ひょんな事から‘イビザ’ていうバッグメーカーでアルバイトすることになったんです。
     そこで、バッグ作りの真似事みたいなことをしてたら、任されるようになって、
     数年経ったら、僕がパートさんなんかにバッグ作りを教えることになっちゃったんです。」

鷲頭氏:「そのうち、営業も任されるようになったんです。
     そうそう、神戸にもその頃一度来たことがあるんですよ。何て店だったかな・・・
     担当が、岡山以西の中国、四国、九州地方だったから立ち寄っただけですけどね。」

鷲頭氏:「でも、そんなことをしいるうちに、
こんないいかげんな鞄作りをしていていいのかな・・・
     って思って。それでそこを辞めて本格的に鞄職人になろうと思ったんです。」

鷲頭さんは、1985年 鞄メーカー「クラブハウス」に籍を置き、
1ヵ月半イタリア、スペインなどの鞄職人の仕事を見て歩く。

鷲頭氏:「でね、自信を持って作った鞄を、
‘イビザ’時代にお世話になった小売店に持っていったの。
     そしたら、その先々で、『こんなの誰が買うんだ!』って言われて、
     まったく、売れなかったんです。散々だったんですよ。
     そんな時、出会ったのが吉岡さんなんです。」

1987年鷲頭さんはバッグ デザイナー吉岡克氏が主催する「スタジオバッヂ」に入社する。
吉岡克氏は、日本有数の本当の意味でのバッグデザイナー。

鷲頭氏:「びっくりしましたよ!鞄の絵を画くだけでお金を稼げる仕事があることにね。
     僕の転機になったのは吉岡さんに出会ったことですよ。
     それからは、僕と吉岡さんの戦いでした。」

鷲頭氏:「吉岡さんの要求はとても高度でね。
     でも『それに負けちゃいけない。答えなきゃいけない。』と思って頑張ったんです。
     そしたら、何年か一緒に仕事をしているうちに、
     『吉岡さんならこう考えるだろう。こうして貰いたいと思うだろう。』
ということが解りだしたんです。」

鷲頭氏:「職人はどうしても一人で鞄を作ると自分の作りやすい方にと走ってしまいます。
     楽をしようと思っているんじゃないんですよ。只どうしても流されちゃう。
     でも、そこにデザイナーの要求が入るとやっぱり技術が磨かれるんですね。
     今日の僕があるのは吉岡さんのおかげなんです。」

鷲頭さんは最後まで笑顔を絶やさずそう話してくれました。




僕が、浅田真央ちゃんの話を聞いて何故鷲頭さんを思い出したかもう解ったよね。
そう、フィギュアの‘選手とコーチの関係’って、
‘職人とデザイナーの関係’にとってもよく似てると思ったんだ。

今回、真央ちゃんは銀で終ったけど、
タラソワコーチから与えられた「鐘」を踊ることで成長したことは間違いない。

幸いにも真央ちゃんは4年後のソチオリンピックを目指すことを表明してくれた。
僕らは4年後、「あの悔し涙があったから、この嬉し涙が見れたんだ・・・」
と思える日が来る事を信じてる。



















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