たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
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1月のカバン【グッチ】
やー、みんな!
とうとう、2010年が幕を開けたね。
新年、明けましておめでとう!!!

それにしても昨年は大変な年だったよね。
一昨年秋に起こった「リーマンショック」による世界不況の並が、年を越えても治まらず日本を直撃。
石油価格の乱高下に、株価の下落。
新型インフルエンザの流行によるパニック報道とそれに伴う販売不振。
そして、政権交代に、政府のデフレ宣言。
極めつけが、11月に起こった「ドバイショック」による急激な円高。
もう、日本経済はボロボロという感じだったよね。

そんな中で、息子に内緒で9億円上げてたらしいお母ちゃんと
それがばれたら、贈与税6億円をポンとキャッシュで払った鳩山親子には、開いた口が塞がらなかったよね。
「お前ら、庶民をなめとんか!」と思わず叫びたくなったよ。

ま、「ブリヂストン」創業者の石橋家のお嬢さんと、その息子様だから、
庶民の気持ちなんか知ったこっちゃないんだろうね。
まさに、「華麗なる一族」。結構!結構!

でもね、そんな華麗なる一族でも、崩壊することがあるんだよ。
今日は、そんなお話。
そう、今月のカバンはみんなも知ってる世界最高峰のブランド【グッチ】。

世界で最初に、デザイナーの名前をブランドにしたと言われる会社【グッチ】。
でも、今そのグッチグループの中には、
グッチの名を受け継ぐ創業家の一族は誰一人として加わっていないんだよ。
知ってた?

【グッチ】・・・

創業者は、グッチョ・グッチ。1881年イタリア、フィレンツェ生れ。
家業は、麦藁帽子製造とも、馬具製造とも言われているけど、
どちらにしても裕福ではなかったみたい。
だから、彼は一旗上げようと二十歳になる前にイギリスはロンドンに旅立つ。

ロンドンに着いたグッチョは幸運にもテムズ河のほとりにあるサボイ・ホテルに皿洗いの職を得た。
サボイ・ホテルは、王侯貴族御用達の最高級ホテル。
そこで彼は、皿洗いからウエイターに出世すると、
王侯貴族の立ち居振る舞いを間近で見る事で、持ち物や物の考え方などを学んだ。
これが、その後の彼の人生の大きな財産となる。

1901年フィレンツェに帰国。
その後何年かは職を転々としたり、第一次世界大戦のために徴兵されたりする。

大戦終了後の1919年再び彼はフィレンツェに戻り、
高級レザーグッズの店に職を得て皮革の扱い方を習得する。

1922年にフィレンツェのパリネオ通りに自分の店を開き、
1923年にはついに【グッチ】 の店名を掲げる。

その後、【グッチ】 の商品は、その品質の高さから好評を呼び、
一気に高級ブランドとしての地位を確立。
ここに、【グッチ】の歴史が始まる。

1947年、バンブー(竹手)ハンドルバックを発表。
【グッチ】のトレードマーク第1号の「バンブー誕生」

1950年代、グリーンと赤のストライプのウェビングをモチーフにしたアイテムを発表。

1953年、グッチョ・グッチ死去。

グッチョには5人の息子がいたが、経営に関わったのは三男のアルドと五男のルドルフォの二人。
2代目にはグッチョの三男アルド・グッチが経営権をひき次ぐ。

野心家のアルドは、1960年代に入ると、
ニューヨーク、ロンドン、パリ、パームビーチと次々と海外に進出し、それは成功を治める。

同時に、トレードマークの「GGロゴ」や
ジャクリーン・オナシスが愛用して有名になったジャッキーバックが誕生。
グレースケリーやオードリーヘップバーンをはじめ、ハリウッドセレブの顧客が増え、
世界的に【グッチ】の知名度がアップしたのもこの頃。

1970年、アパレル輸入販売会社、「サンモトヤマ」日本総代理店契約。
日本での販売開始。そして、大ブーム。

1970年代に入るとアルドの野心にさらに拍車がかかり、
父の代から続く家族経営の再編と事業の多角化に着手し、時計会社や香水会社を設立。
今までの高級ブランド戦略から転じ、敷居の低い開かれたブランド展開を広げるようになる。

そして、【グッチ】は、資産960億、支店の数500店舗にまで成長。

で、こっから・・・

ここで、アルドの経営手法に不満を抱き始めたのが、
創業者、グッチョ、グッチの孫に当たる、ジョルジョ、ポオロ、ロベルト(以上三人はアルドの息子)、
マウリチオ(ルドルフォの息子)達。

1982年。役員会議上で、父アルドらと衝突したパウロは、
喧嘩沙汰とも言える騒ぎで顔に怪我を負い、
格好の新聞ネタとして世間を騒がせ、グッチ一族の混乱のはじまりとなる。

その後も経営をめぐって一族内に抗争は続き、
父や息子による訴訟合戦や株式をめぐってのスキャンダルが噴出。

1983年、ルドルフォ死去。

1985年、その息子マウリッツォがパオロの子供たちに連衡策を働きかけ、
結果的に株式を独占し社長に就任。
しかし、マウリッツォの強引な経営戦略は、グループ内や融資者の反感を買い、
業績は下がり銀行からの借入金は増えるばかりだったんだ。

そんなこんなで、1980年代に入ると、【グッチ】は深刻な経営危機に入ってしまう。

1990年、アルド死去。

1993年、マウリチオ、自分の所有する株を全て手放す。
【グッチ】から一族が一人残らず撤退。

1995年、マウリチオ射殺される。
同年、パオロ死去。

そしてとうとう1997年、マウリチオの妻パトリチアがマウリチオ殺害容疑で逮捕。

一方、会社としての【グッチ】は、1994年に天才デザイナー『トム・フォード』を迎え、
快進撃を続け現在に至る・・・


とまぁ、こんなとこ。
ね、華麗なる一族でも簡単に滅びてしまうんだよね。・・・と言いたいところだけど、

実は、家族の醜い抗争で廃れていったグッチ一族だけど、どっこいまだまだ死んではいなかったんだよ。
アルドの三男、ロベルトが「ハウス・オブ・フローレンス」という、ブランドをイタリアで立ち上げたんだ。
それは実に、フィレンツェの、【グッチ】本店のわずか50メートルの所にあるんだよ。
そして、そこでは、ロベルトを中心に家族全員がスタッフとして頑張って働いているんだ。

【グッチ】を離れる時、グッチ一族は、商売上でその名前を使用することを一切禁止された。
だから、「ハウス・オブ・フローレンス」はその知名度がなかなか上がらなくって苦労してるんだけど、
創業者、グッチョ・グッチがイギリスで学んだ高級路線を踏襲するがごとく、
品質の高さを謳い文句にしているんだ。

「ハウス・オブ・フローレンス」とは、「フィレンツェの家」の意。
原点回帰に気付いたんだろうね。

でね。
一族が去った後の【グッチ】を世界一のブランド成長させた天才トム・フォード。
実は彼も、2004年に【グッチ】を去っているんだ。
で、彼が今何をしてるかって?

彼の若い頃の夢は映画俳優。
2009年、彼はその夢を思い出したかのように、
「シングルマン」という題名の映画で、映画監督デビューを果たし、沢山の賞にノミネートされているんだ。

ほんと、人生って不思議だね。


そうそう、日本の「華麗なる一族」の鳩山首相!
今では世界のタイヤのシュアの一位を誇るブリジストンの石橋家も、
元を正せば地下足袋屋だったそうだね。

鳩山首相も本当に、謝る気があったんなら、ゴールドのネクタイを締めるんじゃなくって、
地下足袋でも履いて謝罪会見すればよかったのにね。

そうすれば、少しは創業者の気持ちも庶民の気持ちも分かったかもよ。

お金の重さもね・・・




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