たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

4月のカバン【ココ・シャネル】

いやー、WBC盛り上がったね!
みんなも見てた?
ワールド・ベースボール・クラッシック。
そう、世界一を決める野球の大会さ!

でも、大会途中でのイチローへの誹謗、中傷は酷かったね。
新聞はまだましだったけど、
週刊誌やテレビの一部コメンテーターのそれは気分が悪くなるほどだったよ。
でも、そんな中でもイチローはキューバ戦後のたった一日を省いては、
律儀にテレビインタビューに答えていたよね。

そのコメント自体も面白かったけど、仕事柄気になったのが、
その時イチローがニット帽を目深に被って、肩に担いでいた茶色のトートバッグ。
画面越しにも良い物だと思ったけど、
ネット上の噂によると、ボッテガベネタのものでお値段372万円なんだって!
そのほかにも、報道陣の前を通り抜けるときに持っていた、
黒いバッグがシャネルで¥638万4000円だそう・・・

「ほんとうかよ!」って感じだけど、
「イチローだとそれぐらいのものは持ってるかも・・・」
と思わせるとこが凄いよね。

で、せっかくなんで今月のカバンは
イチローも愛用している?シャネルの創業者【ココ・シャネル】のお話。

あなたの周りにも、一人か二人、
『シャネラー』と呼ばれる熱狂的なシャネルファンがいるでしょう?
彼女達の多くは、その製品の魅力に惹きつけられたのと同時に、
創業者のココ・シャネルの生き方に魅了されているんだ。

でもその人生はおよそ素晴らしい生き方と言えるものではないんだよ。


ココは、本名をガブリエルといい、フランス、オーベルニュ地方の貧しい家庭に生まれた。
11歳の時に母親を亡くし、その時父親に孤児院に入れられた。
孤児院を出た後、お針子として働いたんだけど、歌手になりたくてカフェで歌を歌ってたんだ。
‘ココ’という名前はこのときに付けたらしい。

その後、ある将校の愛人になり、そこで最愛の人アーサー・カペルと出会い、
将校とは別れることになる。

1910年、アーサーの出資でパリのカルボン通り21番地に
「シャネル・モード」という帽子専門店を開店する。
1913年、リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店。
1915年にはビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープンして、
彼女はオートクチュールのデザイナーとして本格的にデビューするんだ。
そして、翌年に第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表して大成功を収める。

ところが、その名声と引き換えのように、
1918年、最愛の人アーサーを事故で亡くしてしまう。

でも、彼女は悲しみを乗り越えいっそう仕事にうちこんだ。
当時の女性達を堅苦しいコルセットから解放し、
身体を自由に動かせる、ジャージ素材を取り入れたドレスを発表したのも、
それまで喪服でしか使われなかった黒い服をドレスとして発表したのも彼女が最初なんだ。

1921年。 本店をカンボン通り31番地に移転し、シャネル初の香水「No.5」を発表。
そして、その後も、彼女は恋に仕事に自分の道を突き進む。

1924年から6年間ウェストミンスター公爵と交際。
公爵と別れたあと、イラストレーターのポール・イリブと交際。
けれども、結婚寸前で又もイリブが死亡する。

一方事業は順調に成長し、1939年、シャネル社は従業員4000人を超える最盛期を迎える。
ところが労働条件の過酷さから労働争議などが起こり、
ココは社内外からの批判を一斉に浴びる。
彼女は第二次世界大戦の勃発とともに、
香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖し
突然、事業から引退する。

自堕落になった彼女はフランスを占領したナチスドイツの将校と生活をするようになる。
当然、彼女はフランス国内のみならず、対ドイツ協力者として非難を一斉に浴びた。
そして、1944年の連合軍によるフランス解放とともにスイス・ローザンヌへ亡命する。

それでも1954年、再びフランスでファッション活動を再開した彼女は、
全店舗を開店し、オートクチュール・コレクションも復活させる。 

けれども、もうシャネルのスタイルは時代遅れと捉えられ、
ヨーロッパでは受けいられなかった。
ところが、女性の社会進出が目覚しかったアメリカでは、
シャネルのスタイルは歓迎を持って受け入れられたんだ。

その後、シャネルはアメリカを中心に発展を遂げる。

1970年、香水「No.19」を発表。
1971年、住居としていたホテル・リッツで、コレクションの準備中死去。
87歳の生涯を終える・・・

遺体は、母国フランスでの埋葬は拒否され、スイス・ローザンヌに眠っている。

ね、決して立派な生涯だとは言えないでしょ。
では、何故彼女の生き方が女性達に魅力的に映るのか?

それはね、どんなに非難されようと、自分に正直である事を貫いたからなんだ。
自分の人生は自分が作り上げるもの。
それは、他人がとやかく言うものでは無い。

良いか悪いかは別にして、
それは、偶然にも今回のイチローの姿とも重なって見えたよ。







「20歳の顔は生まれつきのもの、

 30歳の顔は生活を物語り、

 50歳の顔はあなたの責任だ」(ココ・シャネル)



スポンサーサイト


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。