たむたむの「カバンを開けると日本が見える!」
カバンは所詮道具入れ・・・ だからそこには、目的があり意図がある。 そして、その作り手の意図が見えたとき、 カバンは単なる道具入れではなくなるのです・・・
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10月のカバン【ルイ・ヴィトンのトランク】

物作り大国日本・・・

戦後、資源の乏しい日本は輸入した材料を製品化しそれを輸出する事で、
その凄まじい経済成長を果たした。

でも僕らが生まれるずっと前、
日本がつい少し前まで鎖国をしていた時代。
幕末の混乱を抜け出し、明治政府の新しい体制が整いつつあった1878年。
パリで万国博覧会が開催された。

世界中の国々、そして5万以上の企業が出展したこの博覧会の中で、
最も注目を浴びたパピリオンがその日本館だったんだ。

浮世絵や盆栽に陶磁器・・・初めて目にした東洋の果ての日本文化の美しさに、
フランス人はもとより、ヨーロッパ中の人々が魅了され虜となった。
しかも、こうして起こった日本ブームは1年や2年で廃ることなく、
「ジャポニズム」と呼ばれ、当時の全ての先進国で30年以上も続いた。

ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、モネといった多くの画家達がその影響を受け、
その他、芝居やバレエ、オペラなど実に多彩な分野の人々にも変革を与えた。

で、その中に、このパリ万国博で自身の出品したトランクで銅メダルを受賞した、
【今月のカバン】の主人公ルイ・ヴィトンと息子のジョルジュも含まれていたんだ。


ヴィトン社が元々ハンドバッグのメーカでは無いことは知ってるよね?

1835年。14歳の時、家出をしたルイ・ヴィトンは歩いてパリに辿り着いた。
そこで、彼は一流の荷造り用木箱製造兼荷造り職人の元で見習いを始めたんだ。

荷造り用木箱とは現在のトランクの元になった物。
荷造り職人とは、当時の女性の間で流行していた針金で裾を広げるスカートを、
畳んで木箱に詰める専用の職人の事。
さすが貴族の国、そんな職人の需要もあったんだね。

で、この職人のもと、彼はぐんぐんと頭角をあらわし、
フランス皇室からの注文を受けるなど、フランス随一のトランク職人にまで上り詰めたんだ。

そして1854年、33才にして独立。
当時高級ブティックが建ち並んでいたパリ・カプシーヌ通りに
世界初の旅行鞄専門店を構えたんだ。

でも、【ヴィトンのトランク】の本当の成功はここから。

彼は下積み時代に培った経験と伝統、
そして生まれ持ったセンスを生かし、次々と斬新なアイデアを商品化していった。

当時のトランクの素材は重たい革。
その頃、旅行をするというのはほとんどが貴族か金持達。
重たくても召使がいて、そんな事気にしなくて良かったんだろうね。
けれども時代を先読む彼は、軽くて防水性のあるキャンバス地を選択したんだ。

又、当時の旅行の移動手段は馬車が中心で、
トランクは雨水が溜まらないように、上部は丸みを帯びていた。
彼は、産業革命を経たヨーロッパの旅行手段が、
馬車から鉄道や船に変っていくのをいち早く察知し、
トランクが幾つも積み重ねられるように、その蓋を平らにしたんだ。

彼の読みどおり、時代は急激に変化し召使を持たない人も旅行をするようになり、
馬車は姿を消していった。
軽くて上部で効率的な平積みができるヴィトンのトランク。
これがヨーロッパ中に大ブームを巻き起こしたんだ。

まさに時代のニーズを先読みし、
変革を恐れない現在のヴィトン社の精神がここで確立されていたんだな。

その精神は、息子のジョルジョにも受け継がれ、
彼は、「トアル・ダミエ」や「モノグラム」といった新作を発表していった。

「トアル・ダミエ」は日本の市松模様の影響を受けたモチーフ。
「モノグラム」は創業者のルイ・ヴィトンのイニシャルのLとYに、
花と星のモチーフを組み合わせたモチーフ。
こちらは日本の家紋がヒントになってるの。

どちらも模造品対策として考えられたと言われているけど、
パリ万博に父親と参加したジョルジョが、
その「日本の美」に感銘を受け、
その精神に自分たちの姿を照らし合わせた事は想像できるよね。

そして、その精神というのが、
まさしく日本人の「伝統を重んじ、変革を恐れない物作り」の精神なんだ。

物作り大国日本・・・

今、経済の成長の為の輸出商品の犠牲となった輸入米の件で、
日本の物作りの現場でいろんな事が起こっているけど・・・

決してその精神を忘れちゃいけない!!!








スポンサーサイト


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。